UMの雑記帳

勉強日記とロールズとか政治学とか

【調べもの】エリー・アレヴィ『哲学的急進主義の成立』

【調べもの】では、調べたこと、調べていることを書いていきます。

ここの典拠はこれでした、ここの参照指示は具体的にこんなこと言ってます、翻訳でたので調べてみた、みたいなことをつらつらとメモ。
それなりにコンテクスチャルで前提はしょるので、人によってはおもしろい、役に立つかもです。

本題のまえに愚痴を(内容とも関係あるんだけど)。非常勤先で調べ物したりしてるみなさんそうでしょうが、コロナ禍以降、図書館で調べものするのが非常にやりにくい。

非常勤先の図書館は再開し、いろいろ頑張ってはいるし、感染対策だから仕方ないけども、開館時間と形態は正直なところ使い物にならない。
予約で午前午後3時間ずつぐらい、検索パソコンしか使えずとか。


今年度はオンラインだったし、来年度は対面だとしても、わたしは週1なので、翌週の授業準備したらほとんど使える時間ないわけです。遠いし、普段はわざわざ行ける時間などない。

ロールズとついてるもの、ロールズが参照してる文献もなるべくは収集するけど、高いものやそれ以外は図書館ないととてもやってられないわけです。

職場から近いっちゃ近い、某大学図書館(卒業生)を使えたらよいのですが、卒業生は現在利用停止で残念。これは仕方がない。
使えるのは早くて22年度かな。ここが再開しないとなかなか厳しい。


本題。
2016年に邦訳が刊行された、エリー・アレヴィ『哲学的急進主義の成立』3巻(永井義雄訳)、法政大学出版局、2016年。原著は1901-04に刊行され、1995年に第2
版が刊行。

2019の後半に『正義論』を読み直していたらこの著作への言及をみて、ああそういえば邦訳がでてた、と非常勤先から借りてきたのでした。

最初の緊急事態宣言で自動延長されてたのですが、今回の緊急事態宣言では自動延長されないのでそろそろ返さないといけないので、とりあえず調べてみました。


ロールズは『正義論』第10節「諸制度と形式上の正義」において、「制度を構成するルールと戦略や格率との区別」を論じているのですが、ここでベンサムに言及し、彼の理論についての表現である、「諸利害を人為的に一致させること」という言い回しについて、アレヴィの『哲学的急進主義の成立』第1巻の仏語原著、pp. 20-24を参照するよう指示しています。
そして、スミスの見えざる手についても言及。

で、仏語原著を確認したいのですが、入っている某大図書館が使えるようになるまで調べるのはできない(さっきの愚痴につながる)

なお1928年刊行の英訳がありいくつかの版があります。ロールズも参照していたかも。(プラムナッツが序文をつけた版があり、ロールズはプラムナッツのほかの著作いくつか参照してますし、本書も知ってはいたと推測。プラムナッツはバーリンのあとのチチェレ講座担当者ですが、1975年に急死してしまった&ケンブリッジ学派に隠れて目立たないけどけっこう好きです)

ともあれ、仏語だと第1巻の20頁以降か。じゃあ最初のほうね、と読んでいくとけっこう面白いです。
扉の紹介や永井先生の解説(第3巻)を読むとわかりますが、アレヴィさん、すごい人なんです。
この翻訳の解説は、関東学院大学の紀要を改訂増補したもので、元論文は公開されていますので興味ある方は↓
https://kgulibrary.kanto-gakuin.ac.jp/?page_id=15

そして読み進めていくと、ロールズが参照指示したのは22-31頁あたりかなという感じです。以下のような記述がでてきました。前後の文脈ははしょります。

ベンサムは後に議論をさらにもっと先に進め、そして利己的動機の支配的なことを立証するために、人類の存続を論拠とする。もし各個人が自己の正当な利益を顧みないで隣人の利益を促進することに没頭したら、人類は一瞬たりとも生きながらえることができようか。優れて逆説的性格を示してはいるがそれにもかかわらず世に受けいれられるようになることを約束されているこの命題は、利害の自然的一致の命題と呼ぶことができる」27-28頁

「個人は、大体において、あるいはまったくのところ利己主義者であるといつでも認められるが、それにもかかわらず、利己心の調和が、即座かあるいは徐々かの違いはあれど、否定されることもありうる。だから、諸個人の利害の中で個人の利害と全体の利害とを一致させなければならないと言われるし、またこの一致を実現するのは立法者の仕事であると言われる。そうしてこれは、利害の人為的一致の原理と呼ばれていい」30頁

ベンサムが初めて公益性の原理を採用するのは、この最後の形式においてであり。彼は後に、ときとして利害の融合の原理を使用することがある。彼は後に、政治経済学において、アダム・スミスの思想とともに利害の自然的一致の原理を採用することがある。しかし、彼の理論において有益性の原理がまとう素朴かつ原初の形態は、利害の自然的一致の原理である」30-31頁

『正義論』の当該段落とあわせて読むと、ロールズの叙述が俄然おもしろくなってきます。正直、ここと節全体、これまでは個人的にあまり興味ひかなかったので。なんか説明してんなーと。

あと、それよりもはるかに注目に値すると思うのは「利害の融合」や、それに類似した言い回しがでてくることです
これがconflationにあたるもの、その着想の基かはわかりませんが、そうなら言わずもがな、いろいろわかってきますね。

あとロールズのスミス解釈というか軽視、雑な扱い?(cf. D. D. Rafael, Impartial Spectator)の理由はこの本に由来しているのかもとも思いました。第三章ではスミスとベンサムについて詳しく論じているのでそこからなのかな?とか。
このあたりは後々機会があればさらに調べていきたいと思います。

半端ですがこのへんで。