UMの雑記帳

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齋藤純一『平等ってなんだろう?』

だいぶ更新をさぼってしまいました。ぼちぼち書いていきます。勉強会や研究関連以外に今回のように軽めに書いていくのも増やします。

先日、齋藤純一先生の『平等ってなんだろう? あなたと考えたい身近な社会の不平等』平凡社を購入しました。「中学生の質問箱」シリーズのひとつで、とても読みやすい文体でさまざま工夫もされています。

中学生を想定読者にしているとはいえ、それ以上の年齢であっても政治思想、政治理論の初学者にはもちろん、専門家にとっても平等のわかりやすい「語り口」を学ぶという意味で学ぶことが多かったです。聴くほう学ぶほうにとってはこちらが思ってるより取っつきにくいですからね。ちょうど田中拓道先生の『リベラルとは何か』を講読するところでしたので参考にさせていただきました。

第1章「『平等』ってどういうこと?」では平等の大切さにはじまり、思想史、歴史の話、そして家族や学校における平等、不平等という身近な視点から論じていきます。このぐらいの年齢からより過酷なものとして突きつけられることもある容姿による有利不利、その社会的構築など、最近話題のルッキズム(という言い方はしていませんが)にかかわる論点もとりあげています。こういうのは中学生にもとても感じるものがあるでしょうね。

第2章「日本と世界のなかの不平等」ではデータや具体的事例を用いつつ、当初分配、ケイパビリティ・アプローチ、運の平等主義等々を分かりやすく説いています。この章では、各国の制度、法について種々とりあげてるわけですが、不平等を「しぶしぶ」是正する一種の外圧として条約がもつ「理由の力」に言及しているところはハッとさせられたところでした。

第3章「未来に希望をもつために、平等を考える」では、シュクラーの「受動的不正義」をひきつつ、おかしさに声をあげてみることの大切さとその可能性を示しています。またヌスバウムのケイパビリティの10のリストをもとに平等の具体的なありよう(ヌスバウムの欠点もふまえ)を中学生にもわかりやすい事例で考えます。
そして、社会を変えていくために一人一人のできることとしてSNSのような空間よりは「現場」を見て、話を聞いてみることの大切さを述べています。ただ、日常なかなかそうはいかないわけで、やはりおかしくない?と周りに口に出してみることを再度強調されています。不平等を「正当化」している「理由」を問い返していくのが「おかしくない?」というところに始まります。

おわりにでもまた、不正義の視点からの話があります。ハーバーマスの『事実性と妥当性』から次の一文を引かれています。

「基本権は、文体と語彙にいたるまで、人間の尊厳に対する抑圧と侵害に立ち向かう、市民の断固たる意思表明・政治的宣言として解されねばならない。ほとんどの基本権条項には、これまでになされた数々の不正が、いわば一語一語否定されるというかたちでその形跡をとどめている」
(なおこれは邦訳下巻、第9章「法のさまざまなパラダイム」123頁です。ハーバーマスはこの文章の注で「印象深い実例」として1945年に可決されたドイツ諸ラントの憲法、施行はされませんでしたが1990年4月のドイツ民主共和国憲法草案における基本権カタログをあげています)。

齋藤先生はこれらの闘いのはじまりも「なにかおかしい」と誰かがあげた声だったかもしれないとしています。そして石牟礼道子の『苦海浄土』など文学作品から「言葉」の力に感銘を受けた経験を述べられています。本書では不平等が言葉の力によって発見、共有され、解決に向かっていく過程を強調したのも、異なる他者とのやりとりから意見がかたちづくられていくとのお考えからだそうです。
対話の場から、排除しないされないことの大切さで本書は終わっています。