UMの雑記帳

勉強日記とロールズとか政治学とか

reasonableの訳語について

きょうは適当な雑感。

先日、ロールズの言葉づかいについて着目した、非常にわかりやすくかつ鋭いネットの論考を読んで、ああこういうのは大事だなあと思った。

先般、機会をいただいて初学者むけの文章を書いたのだけど、いろいろ余裕がなくて、構成もふくめて、言葉の変換というかそういうのが全然できなかったなあと反省しきり。
そういうこともあり、たびたび考えたりするreasonableの訳語について改めて雑にまとめてみる。

reasonableは、ご承知のようにある時期からのロールズにおける頻出ワード。

適理的、道理的というのが使われがちで、字数を気にしなければならない場合はそれでよいですが(想定読者は専門的に学ぶ人だし)、基本的にはやはり「道理にかなった」かなと。
合理的との明確な区別のために「道」をちゃんとつけておきたい。これは個人的にはこだわりポイント。ちゃんと全部やってるか分かんないけど。

reasonableはいろいろなものにつく。

reasonable favorable condition
適度に好都合な条件。
『再説』邦訳ではこれ。内容をみればこれでよい。適度、適当は便利な言葉である。

fact of reasonable pluralism
穏当な、穏やかな、多元性の事実が定着していると思う。

ただ、あまり多元性といってもあまりキツくはないよね~というニュアンスがかなり強くなるとすれば、また初学者にそういう理解を強めるばかりだと、ちとまずい。

包括的ドクトリン、世界観、生き方の違いのなかで、四苦八苦、苦心惨憺、考えて会話して妥協、譲り合いもして、なんとか合意、協働の基盤を見いだして、さらに...とreason(ゴリゴリの意味の理性ではなくて)を駆使してなんとかかんとかやっていける、そういう能力が私たちにはある。
また、終わりそうのない対立や不正義をまえにして諦めなくていい、希望があるんです、とのロールズの思いは著作の端々にみえます 。
初出や、重要なとこは〔 〕で補う...とか? たしか某先生がどこかで書いた文章でそうしたとこあったような。探そう。

あと多元「主義」の「事実」って、言葉として変ですよねと言われた方がいらして、確かにと。ジャーゴンに慣れてはいけないですね。
たしかそのとき「多元状態の事実」とか出た気がしたが、やっぱり基本的にあてる訳後としてはうーんとも。こだわる必要あるかわからないけど、ismついてるし。「事実」はほかに訳しようがあるのかとか。

ともあれ、たんにある状況、環境を描写しているだけではなく、それへの私たちの「かまえ」をも含んだもの。少なくともそう用いているとこは工夫を考える必要。

reasonable citizen, people
市民や人が道理にかなうという言い方は、私の感覚、知っている範囲の日本語ではしないので違和感。

「道理をわきまえた」「分別のある」などを使っている人もいて、なるほど!と思ってたけど、これは完全に好みの問題なんだけど、「わきまえた」「分別がある」が偉そうだし感じ悪いので、何かいいのをその都度充てたいところだけど、いいのはなかなか思いつかない。
まあ、ロールズの議論の文脈はあきらかなので、ロールズ偉そう...と思う人がいる心配はないだろうけども。

他にもありますが、まあよくよく考えなきゃいけないということですね。