UMの雑記帳

勉強日記とロールズとか政治学とか

2023年の総括

超久しぶりの更新になりました。2024年からは日記(週1、2回)的な使い方もして更新ふやしていきます。ロールズ研究史も80年代になるべく早く入りたいし、いくつかざっと書いたトピックあるのでだしていきます。

 

2023年 勉強研究関係のふりかえり

①『政治的リベラリズム』の再読

日本語訳でたのを機にロールズ研究者有志ではじめた政治的リベラリズム読書会(2022.3~)では10章まで読みいつえりました。1年ぐらいで終わるつもりが、2年ちかく。次回で38回目(たぶん)&何回かメンバーの構想、草稿検討会など。

のこり第8、9章と読んで最後に第7章。できるだけ年度内には読み終わりたいですね。個人的には仕切りなおして続ける予定ですが、このあとはロールズのほかのテクスト(卒業論文や論文集成のいくつか)か、この2年ぐらいにでた研究書を読むとかする予定です。

この間、だいたい50年の文献、資料の整理、読みなおしもできたので、とくに専門家ではない読者を念頭においた、各章・論点ごとの日本語文献リストをリサーチマップで公開していく予定です。読書ノートとかはこちらでも少し。

 

②ケア・ジェンダーリベラリズム

PTCD(ケアと障碍の政治理論)勉強会と称した勉強会では前年にひきつづき若い方に教えていただきながらいろいろ文献を読んできました。 

2024年はまずケア、障碍、福祉国家などを政治理論・リベラリズムの観点から包括的に検討した研究書を読み進めます。

他分野学会で報告機会をいただいた2年前から細々といろいろ読んできましたが、ケア、ジェンダーをめぐる、この10年、とくにこの3年ぐらいのリベラリズムの革新はものすごいものがあり、いまだ日本語圏ではとくに十分に認識されていないので、2024年は研究論文として出せるようがんばりたいと思います。また、一緒に読んでる若い方の研究の応援となるよう頑張って勉強していきたいです。

 

③ 依頼論文関係

来年度の後半にでる予定の論文集(水準たかめの一般読者むけ)に寄稿予定です。私のはともかく、ほかの方の論文は現在のデモクラシー、リベラリズムを考えるための最先端の研究動向の一端を日本語で読める文献となるはずなので、でたら買ったりリクエストをしてくださいね。

 

2023年の1冊はDanielle Allen, Justice by Means of Democracy, The University of Chicago Press.

個人的にはロールズ以後のリベラリズムとデモクラシーを理論的哲学的に、またその実践的含意をもふくめ問いなおしていく姿勢に深く共感しながら読みました。来年もいい本にたくさんであえたらいいですね。

 

追記:来年から数年後何か形にする仕込みとして、正義・不正義と多元性の政治哲学の勉強をはじめます。とりあえずすでにいろいろ収集したジュディス・シュクラーから。

 

それでは皆さまよいお年を。

齋藤純一『平等ってなんだろう?』

だいぶ更新をさぼってしまいました。ぼちぼち書いていきます。勉強会や研究関連以外に今回のように軽めに書いていくのも増やします。

先日、齋藤純一先生の『平等ってなんだろう? あなたと考えたい身近な社会の不平等』平凡社を購入しました。「中学生の質問箱」シリーズのひとつで、とても読みやすい文体でさまざま工夫もされています。

中学生を想定読者にしているとはいえ、それ以上の年齢であっても政治思想、政治理論の初学者にはもちろん、専門家にとっても平等のわかりやすい「語り口」を学ぶという意味で学ぶことが多かったです。聴くほう学ぶほうにとってはこちらが思ってるより取っつきにくいですからね。ちょうど田中拓道先生の『リベラルとは何か』を講読するところでしたので参考にさせていただきました。

第1章「『平等』ってどういうこと?」では平等の大切さにはじまり、思想史、歴史の話、そして家族や学校における平等、不平等という身近な視点から論じていきます。このぐらいの年齢からより過酷なものとして突きつけられることもある容姿による有利不利、その社会的構築など、最近話題のルッキズム(という言い方はしていませんが)にかかわる論点もとりあげています。こういうのは中学生にもとても感じるものがあるでしょうね。

第2章「日本と世界のなかの不平等」ではデータや具体的事例を用いつつ、当初分配、ケイパビリティ・アプローチ、運の平等主義等々を分かりやすく説いています。この章では、各国の制度、法について種々とりあげてるわけですが、不平等を「しぶしぶ」是正する一種の外圧として条約がもつ「理由の力」に言及しているところはハッとさせられたところでした。

第3章「未来に希望をもつために、平等を考える」では、シュクラーの「受動的不正義」をひきつつ、おかしさに声をあげてみることの大切さとその可能性を示しています。またヌスバウムのケイパビリティの10のリストをもとに平等の具体的なありよう(ヌスバウムの欠点もふまえ)を中学生にもわかりやすい事例で考えます。
そして、社会を変えていくために一人一人のできることとしてSNSのような空間よりは「現場」を見て、話を聞いてみることの大切さを述べています。ただ、日常なかなかそうはいかないわけで、やはりおかしくない?と周りに口に出してみることを再度強調されています。不平等を「正当化」している「理由」を問い返していくのが「おかしくない?」というところに始まります。

おわりにでもまた、不正義の視点からの話があります。ハーバーマスの『事実性と妥当性』から次の一文を引かれています。

「基本権は、文体と語彙にいたるまで、人間の尊厳に対する抑圧と侵害に立ち向かう、市民の断固たる意思表明・政治的宣言として解されねばならない。ほとんどの基本権条項には、これまでになされた数々の不正が、いわば一語一語否定されるというかたちでその形跡をとどめている」
(なおこれは邦訳下巻、第9章「法のさまざまなパラダイム」123頁です。ハーバーマスはこの文章の注で「印象深い実例」として1945年に可決されたドイツ諸ラントの憲法、施行はされませんでしたが1990年4月のドイツ民主共和国憲法草案における基本権カタログをあげています)。

齋藤先生はこれらの闘いのはじまりも「なにかおかしい」と誰かがあげた声だったかもしれないとしています。そして石牟礼道子の『苦海浄土』など文学作品から「言葉」の力に感銘を受けた経験を述べられています。本書では不平等が言葉の力によって発見、共有され、解決に向かっていく過程を強調したのも、異なる他者とのやりとりから意見がかたちづくられていくとのお考えからだそうです。
対話の場から、排除しないされないことの大切さで本書は終わっています。

ロールズ研究史③Steven Lukes, Individualism.

Steven Lukes, Individualism, Harper and Row, 1973. 邦訳『個人主義』(間宏監訳)、御茶の水書房、1981年。


ティーブン・ルークス(1941~)は、オックスフォード大学においてデュルケーム研究で博士号を取得後、ベイリオル・カレッジで講師をつとめる。その後ヨーロピアン・ユニバーシティ・インスティテュート、シエナ大学教授、ニューヨーク大学教授を歴任し、本年5月に退任したばかりである(その際のzoomイベントhttps://as.nyu.edu/content/nyu-as/as/departments/sociology.html

また初版が1974年、第2版が2005年に刊行された『権力』の第3版も本年刊行され、依然健在。邦訳されているのは個人主義、権力論、政治理論にかんするものがある。

 

個人主義』(間宏監訳)、1981年。本書のもととなる論文、「方法論的個人主義の再検討」、D. エメット・A. マッキンタイア編『社会学理論と哲学的分析』弘文堂、1976年、「個人主義の諸類型」、S. ルークス・J. プラムナッツ『個人主義自由主義』(田中治男訳)平凡社、1987年(『西洋思想大事典』からの再収録)がある。

 

『権力と権威』(伊藤公雄訳)アカデミア出版会、1989年。※『社会学的分析の歴史』シリーズの邦訳。原文は下記のMoral Conflict…に収録

『現代権力論批判』(中島吉弘訳)、未來社、1995年。原著1974年、第1版の訳。政治学では一番有名な本だろうか。先ほど触れたように第3版出たのでアップデートしてほしい。彼の権力論についてはダール『現代政治分析』第3章、杉田敦『権力論』などを参照。

 

マルクス主義者は人権を信奉できるか」(中島吉弘訳)、『長野大学紀要』15(4)、1994年。※原文は下記のMoral Conflict…に収録。1985年にはMarxism nd Moralityという著作も刊行している。

「人権についての五つの寓話」、ジョン・ロールズほか『人権について——オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ』(中島吉弘・松田まゆみ訳)、みすず書房、1998年。※原文は本書原著と下記のLiberals…にも収録。

『カリタ教授の奇妙なユートピア冒険』(近藤隆文訳)、NHK出版、1996年。「五つの寓話」の小説版のような位置づけ? 小説形式で、個人的にはちょっと苦手だが積読を今回書くためにようやく消化。

 

そのほか論考の集成である、

Essays in Social Theory, The Macmillan Press, 1977.

Moral Conflict and Politics, Oxford University Press, 1991.

Liberals and Cannibals, Verso, 2003.

などがある(これでも一部)。

 

ルークスは次第に政治・法理論にも手を伸ばしていくが、それには同僚のジョセフ・ラズをはじめとしてG. A. コーエンなどオックスフォードの環境があった。価値の多元性、多元主義相対主義と峻別しつつ擁護するとともに、より平等な社会、世界の可能性を追求する姿勢は、「権力論」の側面が有名な彼のより知られるべきところであると思う。


ルークスは、『個人主義』(原著1973)において、抽象的個人主義に対する批判を展開している。ルークスの定義ではそれは、

 

「抽象的な個人の観念にとって決定的に重要な点は、社会的諸制度が(現実的にも理想的にも)充足しようとする目的を決定する個人のこの特性が、本能、能力、要求、欲望、権利などどのように呼ばれていようとも、社会的な文脈から独立した所与のものとかんがえられていることにある。人間の固定した、普遍の心理学的特性のもつことの所与性は、個人の抽象的観念に帰着する。そこでは、個人はその行動を決定しまたその利害、要求、権利を特定する、心理学的特性の担い手とみなされるにすぎない」原著p.73、邦訳109頁

 

ルークスは、ロールズが上記のような抽象的個人主義であるとしている。

「この観念は、社会契約論的な形式の議論(今日、ジョン・ロールズの著作において再生している)や一般に、自然状態における人間観にもとづく社会についての議論と密接に関連していた。もっともこの観念は、初期の功利主義者や古典派経済学者らにおいては別の形態——人間一般についての抽象的観念——で見出し得るものであるが。言うまでもなく、ここに含まれている(前社会的、超社会的あるいは非社会的)「個人」は――自然人、功利的個人、経済人であれ――よく検討してみれば、つねに社会的存在であり、まさしく歴史的に特定の存在であることは明らかである。「人間本性」とはつねに特定の社会的人間の種類に他ならない」原著p. 72-3、邦訳111頁。

 

「自立的で合理的な市民は、古典的な自由主義的民主主義理論の一つの中心的前提である。契約論的であれ功利主義論的であれ、とりわけ18・19世紀の理論においてそうであった。どちらも現在再生の過程にあり、それぞれ、ジョン・ロールズ、アンソニー・ダウンズの著作のなかにあらわれている。(脚注)興味深いことに、ロールズは「無知のヴェールの後ろで」正義の原理を決定する合理的な人間は、自分の将来の嗜好や欲求を知らず、これらのことは彼の理論によって前もって決定されるものではないと主張している。しかし私の意見を言うと、ロールズ的人間には特定の幅をもった近代的な自由主義的信条と欲求が組み込まれているということはかなり容易にしめされよう」原著p. 72、邦訳202頁。

 

ルークスは書評(“No Archimedean Point”, Observer(4 June 1972) reprinted in Essays in Social Theory, The Macmillan Press.)においても、ロールズの正義論に同様の見解を示している。その批判は『正義論』、そして自由主義リベラリズムに対してなされる典型的な批判の一つを示しているといえる。

 

ロールズは、『正義論』初版の刊行後の数年間、多くの批判に応答し、説明の改訂を試みる論文を発表するが、その一つが「個人主義」批判への応答であった。論文「善性への公正」Fairness to Goodness(1975)においてロールズは、原初状態と基本財に対する批判に応えるなかで、ルークスの言うような抽象的個人主義ではないと反論している。『正義論』第79節を示しつつ、秩序だった社会の個人が現存の社会制度と正義の原理が充たす。また諸自由、諸機会、所得と富といった基本財の説明も、原初状態における当事者のもちうる知識も、「社会理論や常識」が長らく認識してきたことを否定するものではないとしている。

 

ルークスが「個人主義」を批判するのは、その否定のためではなく現代における平等と自由との問題に関連して、それが誤った形で理解されているとみなされていると考えるからである。ここで言う平等と自由とは、人間の尊厳や自律、プライバシー、自己発達などをさす。ルークスのみるところ、個人主義の核心的諸価値であるこれらのものは、既存の個人主義的諸学説と必然的つながりをもたないものである。ある学説あるいは人間観を採ることが、「社会と社会関係の特定の見解をイデオロギー的に正当化することにつながり、また他の見方の暗黙の否定につながる」、その問題性を彼は指摘している。抽象的個人観は、歴史上、進歩的なものであり、平等と自由との進展に寄与してきたが、それらを「真剣に考える」のであれば、「方法論的」個人主義個人主義の諸価値の関連を俎上に挙げるべきと考えている。

 

「もし平等を増大させること、あるいは社会化の諸機関のより深い影響(たとえば言語や知覚を通じての影響)の関心があれば、またもし社会のあらゆる領域での自律性と自己発達を極大化することに関心があれば、地位の格付けの構造的な決定要因を綿密に調べる必要があろう。このようにして、社会学および社会心理学的な探求は平等主義的あるいは自由主義的な社会変動にとって欠くことのできない必要条件である」(第20章)

 

ルークスの方法は無論ロールズと大きく異なるものであるが、その目指すところにさほど懸隔があるようには思われない(ルークスは「人間的な形態の社会主義」をその展望の方向性として論を閉じている)。その後、ルークスがロールズリベラリズムについてまとまった議論を展開しているのか、全著作を調べたわけではないので現時点ではわからない。その後の言及は数多いが、ロールズが価値の多元性を真正面から受けとめ、その政治哲学を展開していること、それが現代の前提であることに基本的には賛意を示しているように読める(Moral Conflict…、Liberals and Cannibals所収の諸論文。なおこの点についてバーリンとの会話(活字化されている)の中でやはり否定的なロールズ評があるようで気になるところ)

 

「人権をめぐる五つの寓話」では、理念型として、功利国(ユーティリタリア)、共同国(コミュニタリア)、無産国(プロレタリア)、自由国(リバタリア)、そして平等国(イガリタリア)という諸社会を比較している。平等国では、人権が真剣に受け止められ、人びとは不正義への感覚から、不平等や差別、最低限の生活条件の向上を追求している。しかし、その達成可能性と維持可能性は、「自由尊重主義的な制約」により経済、市場の方向から、また「共同体主義的な拘束」により、文化的領域から脅かされる。ここで後者について、ルークスは、ロールズの試みを「自分自身をはじめ、誰に対しても公平な見方ができるようになる」モデル化の方法として言及している。しかし、現実における平等国の人々のような考え方の困難さをまえに、ルークスが採るのは消極的なものである。それは、意見の一致が確保しうる、「基本的な市民的・政治的権利、法の支配、表現と結社の自由、機会の平等、ある程度の基礎的水準の物質的福利を享受する権利」という人権のリストを擁護することである。しかしこれらについても、その具体化、実現方法となると意見の不一致が表面化する。ルークスは、そうした政治的対立、議論が可能となる「平等主義のプラトー(高原状態)」を擁護すべきであり、「たとえ人権擁護の原理が、私たちにこれ以上平等国に近づく手助けをしてくれないとしても」、他の四つの社会との支持と引き換えにそのプラトーを放棄してはならない「強力な」理由が存在するとしている。ルークスの議論は、ユーゴの解体とその後の凄惨な紛争を背景としての擁護論であるが、現在においては、むしろすでに何らかの「プラトー」を維持してきた平等国が、実のところ自由国、功利国などほかの社会の側面を強めてきたのではないかという観点から読めれるべき価値があるように思われる。

 

 

 

ロールズ研究史②Brian Barry, The Liberal Theory of Justice

今回はブライアン・バリーBrian Barry, The Liberal Theory of Social Justice: A Critical Examination of A Theory of Justice, Oxford University Press, 1973とその著作を紹介。

バリーは1936年生まれ。H. L. A. ハートの指導の下で研究し、論文「政治的議論の言語The Language of Political Argument」により博士号を取得し、それは1965年にPolitical Argument, University of California Pressとして刊行される。

ロールズは『正義論』で直観主義や手続き的正義、人びとの欲求の形成と社会システム、そして目的論との対比における欲望考慮的/理想考慮的原理の区分などについてこちらにたびたび言及している。1967年の論文「社会正義について」の批判を取りこむこともふくめ、『正義論』を執筆するために重要な理論家であった。

バリーは1990年に『政治的議論』を新たな長い序文を付して再刊しており、そこではハートやバーリンからの学びや、1961年からのロックフェラー財団の援助による留学に、当時МITにロールズがいたためにそこを選んだと述べている。ロールズは学期の終わりにはハーバードに移ってしまうが、ロールズの正義論草稿のコピーをもらい読んだことが博士論文の執筆にも影響している。なおロールズによる自身の欲望/理想原理の区分の用い方には異議を唱えており、『正義論』における目的論批判の検討に重要な論点を含んでいる。

代表作というと、Political Argumentと、正義論シリーズとして当初は3巻まで刊行予定だった、Theories of Justice, University of California Press, 1989.Justice as Impartiality, Oxford University Press, 1995.そして、版を重ね論集も編まれたCulture and Equality, Polity , 2001あたりだろうか。そのほか、論文集成であるLiberty and Justice, Democracy and Power(Essays in Political Theory 1, 2), 1991があり、政治学、経済学、社会学等幅広い分野にわたり深い知見をもつことがうかがえる。

残念ながら本の訳はなく、知るかぎりでは「相互性としての正義」(平野仁彦訳)がユージン・カメンカ、イア-スーン・テイ編『正義論』(田中成明・深田三徳監訳)、未來社、1989年に収録。あとアンソニー・クイントン編『政治哲学』(森本哲夫訳)、昭和堂、1985年に「公益」と「正義と公共善」が収録されているのみである。

本書『社会正義のリベラルな理論』は、『正義論』刊行以後に発表した論文も基礎として、ロールズ研究史上彼を主題とした最初期の著作となる。小著ではあるが第1部はもちろん、第2部と第3部(自由の優先権が中心だが)にも論及がなされ、『正義論』「初版」を読むうえで現在でも十分な価値がある。ロールズの自由とその優先権についての批判的検討はさらにその後「平等な自由と自由の真価の不平等」(1975)へと発展していくが、師ハートもまた本書と同年に「ロールズにおける自由とその優先権」を発表しており、相互に影響を与えあっている(本書が成るにあたってもハートは重要な役割をはたしている)。
またロールズが『正義論』を1975年に大幅に改訂するもととなった経済学者らの批判とも重なる、マキシミン規準への批判が注目される。本書へのロールズの反応は著作には見られないが、アーカイヴで何か見つかれば、興味深い資料であるはず。

「気鋭」の若手研究者らしく? ロールズが経済学をはじめ各社会科学分野を応用している仕方に鋭い批判(連鎖的つながり、緊密な接合はもはや「生きた化石」にすぎないなど)を加えつつも、『正義論』がもつ意義を次のように述べている。

ロールズは私的所有権と生産手段、分配、交換の結びつきについてリベラリズムの教説の本質的な要素とみるのではなく、偶然的なものとして、リベラリズムの本質的な諸特徴とは切り離したのである。そして、分配の原理を導入して、リベラリズムは適切に解釈され、特定の現実的仮定を置くならば、平等主義的含意をもち得ると示したのである(166)。

その平等主義的含意はいまはいわば常識のことではあるが、だからこそ、当時ロールズに見いだされた新しさとラディカルさは軽くみられるべきではない。近年の財産所有のデモクラシーへの注目や、reticent socialist(エドマンドソン)としてのロールズの読解のようにいま再びその平等主義的含意が限界とともに問いなおされている。

ロールズ研究史①S. Hampshire, A New Philosophy of the Just Society

久々に投稿。先月の某学会での報告がおわり少し余裕できたのでこちらもぼちぼち投稿していきます。書きかけのがたまっています。

今年はロールズ生誕100年、『正義論』刊行から50年の節目の年です。自分が直接関わっているものはないですが、いろいろと企画が進んでいると思います。

その記念すべき年を寿ぐ一環として資料の整理もかねてざっくりと時系列でロールズ研究(書評、論文、書籍)と研究者を紹介していきます。たまに前後するかも。
まあ、ここで整理をやっとかないとどこに何があってがわからない、pdfにしとかないとというものもあり、その動機づけに。

まず第1回目はStuart Hampshire, “A New philosophy of the Just Society” New York Review of Books, 1972.
『正義論』は前年末の刊行で、2月の書評ですから最も早い時期のものです。ハンプシャーは21年後には同誌に『政治的リベラリズム』の書評を書いています。

まずハンプシャーをざっくり紹介。
ハンプシャーは、倫理学・道徳哲学、政治哲学界隈で名前は知られていますが…という感じでしょうか。スピノザ研究(中尾隆司訳『スピノザ昭和堂、1979)や心の哲学方面では著名なようです。
むかしバーリンの『自由論』の自由意志関連のテクストを読書会したときに論文を参照した記憶があります(ほとんどわかりませんでしたが)。

1982年に原著、邦訳が2019年にでたセン&ウィリアムズ編『功利主義をのりこえて』後藤玲子監訳、ミネルヴァ書房に、「道徳と慣習」(児島博紀訳)が収録されています。
これは、Morality and Conflict, Basil Blackwell, 1983.(既刊論文の改訂、再録中心)の第6章でもあります。本書が道徳哲学分野での代表的著作でしょうか。
ロールズの「合理性」への批判など(「道徳と慣習」訳204-05頁)、時代、地域・文化を超えた普遍性の探究に懐疑的で、価値の多元性を重視し、バーリンに近い、しかし異なるスタンスをとっているようです(7章 “Morality and Conflict” p. 159)。

政治思想系の研究論文はあまり多くはないですがPeter Lassman, Pluralism and Pessimism, History of Political Thought. Vol. 30, 2009ではバーリンロールズとの異同が論じられており、個人的にも今後もう少し深掘りしてみたい思想家でもあります。
最近はEdward Hall, Value, Conflict, and Order: Berlin, Hampshire, Williams, and the Realist Revival in Political Theory, Cambridge University Press, 2020.(未読)という本がでていて、political realism方面で注目されつつあるのかなと。

自分の関心に近いところだと、Innocence and Experience, Harvard University Press,1989.における正義についての考察は歴史、思想史についての該博な知識と、自身の知的遍歴(ハンプシャーは1914生まれ、ナチズム台頭とマルクス主義隆盛のなかで30年代のオックスフォードを過ごす)のふりかえりもあわさった壮大な著作。

Justice is Conflict, Princeton University Press, 2000.ロールズ的な政治哲学への批判的立場が鮮明です(とくに名指しされませんが明らかです)。

紹介が長くなってしまった。
この書評は3節構成です。まず1においては哲学史をふりかえりながら、またとくに懐疑主義の系譜、分析哲学におけるそれをロールズがいかに避け得たかを論じています。近年、ロールズによって(英米圏の)政治哲学が復興というやや単純なストーリーは修正されつつありますが、やはり当時の状況において、『正義論』という作品が当時の人たちにあたえたインパクトは重大なものなのでしょう。
ロールズの理論的特質を整理しつつ、それが違う文化や伝統にも適用可能か、そういうことを意識しているのかを暗に批判するように論を進めていきます。先に挙げた文献における読みにもつながっています。

2では具体的な批判がはじまりますが、値することdeservingについてのロールズの見解への疑問が主眼です。ロールズが才能、能力、生まれつきのendowmentの道徳的恣意性についての議論の恣意性が問題にされています。

3ではロールズによる「正義」を社会正義の第一の徳とする見方が極めて限定的なものでしかなく、人間がもつべき特性や目的、望ましい生き方といった見方、ロールズがいう完成主義が、歴史的にみても、道徳感情の心理学にてらしても支持されうるとします。
またロールズの合理的な人生計画と善の定義を驚くべきもの(人間において重要な徳や目的は?)とし、ロールズにおいては、秩序だった社会の特徴として正義が語られ、徳の議論はなく、最後の数章、つまり第三部の議論も、正しい行為を、人格の善性に優越、独立させていて成功していないとします。

ロールズに対しては、その秩序だった社会の抽象性やアメリカ社会の現実(企業の権力や秘密警察、マスメディアなど)へ注意が払われてないこと、市民のより完全な政治参加へのとりくみがないことなど、フェアとはいえない批判がなされうるが、それに対してロールズは正義についての理論的再構成で答えるであろう、彼は政治科学の実行可能性practicalitiesや民主主義理論に関心はないとします(あくまで抽象的、理論的な立場にとどまるということ)。

最後に、ロールズ分析哲学は実質的な道徳、政治哲学に貢献しえないという評価を跳ね返したとして書評を締めていますが、全体として醒めた評価だと思います。

フリーデン『リベラリズムとは何か』①ほかの翻訳、関連文献紹介

先日刊行された、マイケル・フリーデン『リベラリズムとは何か』、山岡龍一監訳、寺尾範野・森達也訳、ちくま学芸文庫
購入したけどしっかり読む時間がなかなかとれず。とりあえず関連文献紹介だけして、1章ずつ読んだら追記していきます。
原著が出たときに読み、翻訳を期待してましたが、まさか文庫版で出してもらえるとはありがたいですね。
日本語で読める自由主義/リベラリズムのコンパクトな概説「本」はながらく「ちょうどいい」のがなかったと思います。価格、入手しやすさもふくめ。

ジョン・グレイ『自由主義』(初版の訳)昭和堂
藤原保信『自由主義の再検討』、岩波新書
などがありますが、グレイはひとつの概説としてよいとして、藤原のは、とくに後半にかけての展開に注釈が必要ではないかと。
法哲学では井上達夫『自由の秩序』岩波書店がありますが、概説を意図した構成、バランスではなく、またクセがあるので、とりあえずこれ~と紹介、薦めるわけにもいかず。
フリーデンのは読み通し、消化するのそれなりに大変かもしれないが、歴史的展開と現在のリベラリズムの幅、重層性をきちんと把握するために非常にすぐれたものであると思います。

なおフリーデンはおなじA Very Short IntroductionシリーズからIdeologyも出しているのでこちらも翻訳されたらうれしいですね。

きょうは、すでに翻訳のあるものとフリーデンの研究のうちイデオロギー研究に関連した文献を紹介。

フリーデンの翻訳としては知る限り本書が3つめ。ほかにあれば教えてください。
1つは『権利』玉木秀敏・平井亮輔訳、昭和堂、1992年(原著1991年)。
リベラリズム』同様、すぐれた交通整理という感じで、つまみ食いしかしてなかったことを反省。

序文「権利について提出された論拠が真か否かということより、権利の概念が政治言語において果たす役割をイデオロギー的に解読することに重点を置いている。本書の目的は、権利理論を構築することではなく、権利理論を構築する人々の第一次的な思考活動を素材として使用し第二次的に分析することである。このような分析は政治理論の果たすべき主要な任務である」

2つめは「政治的に考えることと政治について考えること:言語、解釈、イデオロギー」(蛭田圭訳)、
デイヴィッド・レオポルド、マーク・スティアーズ編『政治理論入門:方法とアプローチ』山岡龍一・松元雅和監訳、慶應義塾大学出版会、2011年(原著2008年)。
イデオロギーは、哲学者であれ文化的エリートの一員であれ、素晴らしい知的能力ないし修辞的能力のある個人によって言葉にされるかもしれない。しかし、グラムシが主張した通り、イデオロギーは「大衆」ないし今日では一般公衆と呼ばれるかもしれない人々が社会的世界について抱く閃きや見解の結果でもある。
こうした、より広い非エリート主義的な社会的、政治的思考の諸領域を巻き込むことは、それ自体で価値ある学問的実践であり、政治思想研究を「民主化すること」である。
イデオロギー研究は、良質な思考を真剣にとらえるのと同じくらい、政治について普通に平均的に考えることを真剣にとらえるような政治思想分析の第一級の実例である」(pp. 210-11/訳305頁)

フリーデンについては、『リベラリズムとは何か』の訳者の1人で解説を執筆された寺尾範野先生が、「イデオロギー研究は「政治における正しさ」について何をいいうるか:マイケル・フリーデンの諸研究を通して」を、田畑真一・玉手慎太郎・山本圭編『政治において正しいとはどういうことか:ポスト基礎付け主義と規範の行方』、勁草書房、2019年に書かれていますので、フリーデンの理論的営為の一面を知りたいかたにはおすすめします。

イデオロギーについては、たとえば
テリー・イーグルトン『イデオロギーとは何か』大橋洋一訳、平凡社ライブラリー、1999年。
冒頭、イデオロギーの16の意味・用法を列挙しています。とくにフーコー的な権力-イデオロギーの見方への異論は参考になりました。
1、2、7章だけでも読んでおく価値のある本。

政治思想系で手元にあるのは2つ。
ジョン・プラムナッツ『イデオロギー:その意味と政治的効用』田中治男訳、福村書店、1972年(原著1970年)。
かなり時代を感じる構成ですが、だからこその意義もある。6章「イデオロギーの政治的効用」はこの数年の事象の分析にも有用かもしれない。

アンドルー・ヴィンセント『現代の政治イデオロギー』重森臣広監訳、昭和堂、1998年。
講義をもとにした、おもに8つのイデオロギー「ズ」を論じており、第1章ではイデオロギー自体について検討。
「…われわれはイデオロギーを現実と世界の構想であるとみる。われわれはこうした構想から完全に身をひくことなどできないし。各構想を厳格な第三者として比較することもできない。われわれにできることは、せいぜい複数の世界の比較である。イデオロギーは、なにか客観的で実在的なものとならんで存在するのではない。むしろ、イデオロギーは、現実世界の巧妙な構成要素である。
・・・イデオロギーの研究そのものは、われわれの理解のスキームを別のスキームと自覚的にむすびつける試みである」29頁。
2009年には第3版がでており、どのようなアップデートか気になるところ。

ロールズ入門、概説の翻訳書

間があいてしまいました。サクッと書いて出して、後から改訂、追記する感じでなるべく更新を増やしたいと思います。

今日はロールズ概説書、入門書の翻訳について。残念ながら翻訳してます、出ますという話ではないです。
今月末から某大の院生の方と社会的協働を軸にして、ロールズのテクストを読んでいくので、頭を整理するためにまず入門書をいろいろひっくり返してみたのでした。
関連性が新たに見えてきたりしますのでね。

ロールズ関係の翻訳少ないなあと思うのですが、とくに入門書の少なさはもったいないよなあと思います。
たまにツイッター観察したりしても、重要だなあと思うわけです。

そういう問題意識はあったけど、しばらく前からどうでもいいかな~期に入っていました。
私の場合、専門分野について学生と読む機会はないし(1年生)、英語なら当然読みますし。
(前にやったらどうですか?って言われたことあったけど、私のような立場だとそもそもどうやって?みたいに思った)

学術出版の厳しい状況というだけでなく、流れてくる情報をみると、どうやら翻訳は「業績」とは認められにくいようですね。
もちろん、やられている優秀な「若手」の方もおられますけど、業績にもなればさらによいですよね。
私はそういうの気にしなくなっちゃったので、詳しくは知らないけど。

まあ手間は大変なんてもんじゃないですね。あと出したら致命的な誤訳はともかく、ほかもいろいろ言われるわけだし(言われてかまわないと思いますが)。

某翻訳の検討会に参加してみてその一端を垣間見ましたが、いや~大変だなと。
個人的な勉強として訳語の一覧表や邦訳のある文献、参照ページ一覧作ったりとかも含め、自分の読解のために非常に得るものがありましたが、自分でやるとなったらもうね。

ではいくつか紹介。

クカサス&ペティットロールズ:「正義論」とその批判者たち』(嶋津格・山田八千子訳)、勁草書房、1996年。
原著はPolity, 1990年ですが、30年以上たった今でも、『正義論』とその後の批判、70~80年代のロールズの検討など、十分に読む価値があります。
あと本書自体が、ロールズ研究「史」上の著作となり、今ふたたび検討されるべき論点、ヒントをたくさん提示してくれています。

Polityからは2010年に Sebastiano Maffettone, Rawls: An Introduction が出ているので、ぜひ翻訳をだして「アップデート」されてほしいですね。
いわゆる「転回」についても1章割いています。

Catharine Audard, Rawls, Acumen, 2007.
『正義論』『政治的リベラリズム』のフランス語訳を担ったオダール渾身の一冊。
これを読まずして、というぐらいおすすめです。

Percy Lehning, Rawls: An Introduction, Cambridge University Press, 2009.
これも体系の内的関連をおさえた非常によいもの。

Donald Moon, John Rawls: Liberalism and the Challenges of Late Modernity, 2014.
これは入門書ではないのですが、『正義論』ではなく『政治的リベラリズム』や『再説』などを起点として、ロールズの体系を読み解いていく優れたもの。
公正としての正義の変化、発展と、その基底にあるものがわかり、『正義論』の理解にも資するものです。

『正義論』に特化した入門書もあります。

Jon Mandle, Rawls′s A Theory of Justice: An Introduction, 2009.
各パートごとに検討、つまり第3部にもしっかりとフォーカス。

Frank Lovett, Rawls′s A Theory of Justice: A Reader's Guide, Continuum, 2011.
これが一番簡明なガイドですね。まさに『正義論』を読むガイドとして初学者にもおすすめです。

Introductionと日本の入門・概説書ってだいぶ違うのであれですが、日本の研究者のものも紹介。

川本隆史ロールズ』、講談社、1997年、新装版2005年。
先日再開した勉強会で読み始めた、ガリシャンカのロールズ思想形成史本を読んでいると、ヴィトゲンシュタイン『哲学探求』の影響がアーカイブ資料もふまえ検討されていました。
川本先生の本は97年ですから、当然アーカイブ資料使ってないわけですが、この点を入門書でも重要なものとして丁寧にとりあげていて、『正義論』へと至るロールズの丹念な読解だと、改めて。
シリーズと同じように、(できれば増補改訂して)学術文庫やちくま学芸文庫にいれて欲しいですね。

仲正昌樹『いまこそロールズに学べ』、春秋社、2013年、新装版2020年。
さすがの整理ですが、転回については…という感じですね。

盛山和夫リベラリズムとは何か』、勁草書房、2006年。
大学院受験のために一生懸命読んだ記憶が。「入門書」ではなく、また専門書でもない、噛みごたえのある本。
難しめ、1冊目に読む本ではないとは思いますが挑戦する価値がありますね。

あと複数人による教科書で、分配的正義の議論が中心ですが、宇佐美誠・児玉聡・井上彰・松元雅和『正義論 ベーシックスからフロンティアまで』、法律文化社、2019年の第1部もよいのではないでしょうか。